昭和四十五年六月二十六日 夜の御理解
【 】三人でお茶を飲んでおりました。【 】綾部さんが、【 】おっちゃまが良かとこは、無邪気であんなさぁところです。と云うておられます。まあ、非難いろいろと批評する人がおりますけど、何かやはり神様に通うものを持っておるんですよね、この人は。その証拠にやっぱりあの人に導かれて助かっていく人が多いという事、しかもここででも、いわゆる信心をどんどん続けていかれる人があの人の導きによって出来ておる事やら思います、何かがあるとですね。
【 】えげつないという訳なんですね。それがそのうちの店あたりに来てから、嫁達にでも娘達でも店員達にでも何かちょっと困った事があったら「ほーら、あんたが参らんけんもうお気付頂きよる」とこう云う。ところがそれが、本当にやっぱお気付と思わにゃおられん程しに本人がそれを改まったり、お参りするとピシャッとおかげになるという事実があるという事です。やっぱり無邪気に人のいう事を神様が顔を立てて下さるだろうという意味の事でしたが、ちょうどそんなお話をしよる時に綾部さんが云われるのに、「いつも、お茶をして頂くおっちゃまが見えなさらんごたるが【 】いつもずっとおんなさる【 】しげおさんの事です。今日から田植えが始まって朝参りはされますけど、お初穂を整理されましたら帰られますよ、と云うてから云よったらすぐ横から高島さんが云われるとに「そげなこつしよんなら、ちがわんごとお気付頂く」とこう云われる。ですからね、もう本当に私はそれを聞いてからほんなこつと思いますたいね。例えばしげおさんが田植えからこっち、あげんして早く帰り御用も無理にも云いませんし、そこんところを【 】というようなつもりで帰っておられますけれども、あのしげおさんがあちらで御用できなさるよりか、あちらの奥さんが御用が出来た方が仕事がはかゆくとですよね。田植えだって・・・しげおさんは非常に【 】スローモーションですよね、遅いとです。だから田植えも絶対、奥さんの方がよかつらしい。【 】そういうところ、鋭いですね高島さん。【 】無邪気な言い方をする。他の者が云うたら腹が立つでしょうけれども、高島さんはそれを良い意味じゃなくて悪い意味を確かに信じて神様に云っちゃるという感じがします。本当にそのとおりです。しげおさんの事でも「そげなことしよるとお気付頂く」もう云う前に私はそげん思うてですね、ほんなこつそうじゃんな。あちらの奥さんが具合が悪して田にも出られなさらんというて、毎日お届けがありよりますけども、ここへんのところを本当に息子達でも本人でも、もう本当全部が全部ね、【 】これはね、おかげを受けるという意味とは反対に高島さんは【 】そういう意味で間違いなく信じてござるのです。そういう事が高島さんの顔を立てなさる、神様の御神意が分かる気がしたんですけどね、あたしどんがまね出来る事じゃないですね。例えば高島さんの生き方は・・・けれどもそれなりに神様をそういう意味から間違いないと頂ききっておんなさるようですね。【 】
これは特別の神様のいうならば御期待がある程しなら、又、自分も本気でおかげ頂きたいという願いを持っとんなら、もうそれに徹する以外にないです。ああいうところは、スキッと田植えじゃろうがとりあげじゃろうがですね、でもこの御用だけは、これだけは自分も思いこみ家族の者もそこんとこの御用が出来るように、冴えるようになられたらね、本当におかげが受けられるとこれも一番はっきりしてえるのが堤さんです。堤さんがこれがをとりあげるといったらいっつもです、いわば何十年続いております。今度も今、田植えだからと朝参りもないでしょ・・・【 】 【 】本人がここの総代ともあろう人達ですから、たとえ田植えじゃろうがこの事だけは、と云ったようなものがやり抜かれるとこに、そげな事させたいんじゃない神様は、そこでね、ひとつのものを貫かせたいというのが神様の願い。貫くとこからおかげの道が開けてくる。私共がそこんとこを本当にそれこそ馬鹿んごと徹底しぬいたように思いますね、修行中に・・・。【 】
信心は【 】変人にならにゃいかんですね。人に笑われても神様から笑われちゃならんという信心が必要ですね。特に合楽の場合、私がそれで生きとるからみんなもそれで【 】。